「日本のがん医療」にフォーカスを当てたお話をしばらく続けますね。
今日は、2012年12月5日に亡くなった、歌舞伎俳優の中村勘三郎さんに関連するお話です。
勘三郎さんは食道がんを患い、手術やその他の治療を受けたが容態が悪化し亡くなった、と報道されていました。
しかし実は「食道がん」で亡くなったのではありません。
彼の死因は「急性呼吸窮迫(きゅうはく)症候群=『ARDS』」でした。
これは、ウイルスの感染により、免疫を担う好中球(こうちゅうきゅう=白血球の一種)が過度に活性化し、タンパク分解酵素や活性酸素を放出することで肺胞壁を損傷してしまう病気です。
この病気になると酸素と二酸化炭素のガス交換が十分できず、呼吸困難に陥り、高い確率で命を落としてしまうのです。
彼が早期の食道がんだと診断されたのは、亡くなる半年前の「2012年6月」です。
なぜ、わずか半年で命を落とす事態になったのでしょうか。
勘三郎さんは、食道がんが発覚した直後に抗がん剤治療を行い、その後7月27日に12時間に渡る食道がんの摘出手術を受けました(執刀したのは桑田佳祐さんと同じ医師)。
術後さらに抗がん剤治療を受けていました。しかし、抗がん剤によって免疫力を大きく低下させてしまい、9月14日にウイルス感染により肺炎を発症し、それがARDSに繋がったのです。
つまり、手術と抗がん剤によって体力・免疫力を著しく低下させ、手術から2ヶ月も経たないうちに命に関わる重篤な病気を発症した、ということです。
勘三郎さんは、2011年から体調を壊して休演したり、難聴を発症したりしていましたが、2011年11月から2012年5月まで、半年に渡るロングラン公演を実施してするなど力を振り絞って活動をしていました。
公演終了直後の2012年6月の時点では疲労も溜まり、体調も良くなかったと聞きます。
(想定の話で恐縮ですが)もし私が「早期の食道がんに罹った勘三郎さんをサポートしたなら」という話をすると、しばらくは休養することを薦めます。
そして疲労が抜けて元気になった後も、厳しい副作用がある抗がん剤や、身体的ダメージが大きい手術はすぐには行わず、まずは放射線治療を行うように助言するでしょう。
結果論なら何でもいえる、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これは難しい判断ではありません。
がん治療には、白か黒か、決断しづらい状況が多いですが、勘三郎さんのケースは、悩む必要がないほど明白です。
なぜなら・・・
その理由は明日のメール講座で。